冬咲琴音ーー彼女は小学生ながら、アジング業界に衝撃を走らせた。
とあるテレビ番組主催のアジング大会にて、プロアングラーをも圧倒し優勝。Canikamaという釣り古参メーカーに認められ、アジング専門のフィールドテスターとして抜擢される。
そんな彼女が中学2年生になった頃、ある問題に悩まされていた。
「……本当に私は求められているのだろうか?」
釣り業界は、基本的に男性が多くなる。
その理由は、女性にとってはいくつかのハードルがあるからだ。体力、寒さ、臭い、生き物に触れるということ……生き物を食べるということ。
アジングは、多くの釣りの中でも女性人気が高い釣りではあるが、それでも9割は男性と言われている。
そんな中、女性……しかも小学生が優勝するということは、奇跡と言ってもいい現象だった。だが……その実力を疑うものも多い。
ーー釣りは、確率論である。
彼女の場合、その確率を上げるための知識も、実力も確かなものだった。それは彼女を知る全ての人間が知るところであった。
だが、確率論ということは、当然、偶然ということもありうるということ。
その偶然がたとえ0.01%だったとしても、可能性がある以上、人は疑うものだ。そんな残酷な生物なのだ。
酷いものでは、優勝そのものが作られたものだという陰謀論まであった。事実、彼女の登場でアイドルめいた扱いを受けることは少なくなかった。
そこで、彼女が見つけたのは、茜島にいると言われているアジングをする猫の噂だった。
「……ここが茜島ね」
中学生の彼女にとっては、初めての一人の長旅だった。
「アジングをする猫……本当にいるのかしら?」
猫はそこらじゅうにいる。だが、釣りどころか、竿も持てなさそうだ。
「えっと……磯やサーフを除けば釣り場は3つか……」
磯やサーフ(砂浜)でもアジングは可能だ。だが、噂によるとその猫は、島にいる猫の餌を全部賄っているという。だとしたら、遠投が前提となるサーフは避けるはずだし、外道が来やすい磯も避けるべきだ。
となれば、その猫のフィールドは、堤防である可能性が高い。
また、大物狙いより、数釣り有利な堤防を狙うはずだ。餌を用意すべき猫はかなりの数のはず。だったら、少しでも手返しを良くするため、尺以上のサイズは避けたいはず。
「だとしたら……」
「やはり、ここにいたのね」
少女の声を聞いて、猫は振り返った。ししゃもをかじり、きょとんとした表情をしている。
竿は持っていない。当然服も着ていない。ただの白猫だ。
「ーー安治平博士。日本の……いいえ、世界のロボット業界を塗り替えた彼は、忽然と姿を消した。その隠居先が、この茜島」
それでも、その猫が、猫のふりをしているだけだという確信が彼女にはあった。
「彼はすでに肺ガンがかなり進行し、いつ死んでもおかしくない……それなのに彼は今も生き続けている。現代の医学ではあり得ないこと……そう、あなたを実験台にしたサイボーグ技術がなければね」
猫が、深いため息をついた。めんどくさそうに立ち上がり、隠していたライフジャケットを羽織る。
「安治平博光博士の作り出した初期型サイボーグ……最初の実験動物。D-001。コード名”だいふく”」
ポケットに忍ばせていたししゃもに火をつけ、タバコのように咥えた猫は、ニヒルに笑った。
「アンタ……それを口にするということが、どういうことかわかってんのか?」
冷静を装っていた少女も、思わず息を飲んだ。猫の目はただの怒りではなく、もっと冷酷で、残酷な殺意だった。
「そこまでわかってんなら知ってるだろ? なぜ安治平博光が、こんな狭い島で隠居することにしたのか」
当然、少女はそこまで調べていた。彼は、自身の技術が戦争に転用されることを恐れたのだ。
「じーさんは、今、テメェみてぇなガキが想像できねぇような夢想を現実に変えようとしている。それに近づく奴は、例外なく消してきた。今は都合よく行方不明者が多いみてぇだしな」
……第三次ベビーブーム。長期間の不景気を脱した日本が産んだ奇跡……表向きにはそう言われている。
しかし、その裏では、少年少女の拉致事件が横行しており、その多くが臓器売買に”使われていた”。そんな現状を嘆いた安治平博士には、自身のサイボーグ技術が、どういった未来を生み出すのか。簡単に想像ができた。
そのため、サイボーグ技術の存在は、当然トップシークレットとなる。
「テメェ一人がいなくなったところで、今は珍しくねーんだぜ。それなのに、なぜテメェはこんな真似をした」
「簡単なこと……貴方と勝負するため。ただし……釣り、アジングの勝負よ」
「なにぃ!?」
まさかの回答で、素っ頓狂な返答をしてしまっただいふく。
「テメェ……ふざけてんのか?」
「ふざけてないわ。私は、私の実力を、私に認めさせたい……誰に認めてもらう必要もない。ただ、私に……そのために貴方を倒してみせる!」
「そ……そんなことのために、オメェは、わざわざ命までかけるってぇのか?!」
冷や汗をかきつつも、少女はニヤリと笑った。
「……なにっ? じーさん……いいのか?」
急にそこにはいないはずの男と話すだいふく。おそらくは安治平博士と通信で繋がっているのだろう。
「はぁ……アンタ、もの好きすぎるぜ。いいだろう……だがーー」
だいふくの目が鋭く光った。その瞬間、少女は殺意以上の恐怖を感じた。
「俺は猫だ。加減はできねぇぜ」
そして……少女は完膚なきまで負けた。
あまりにも簡単に……完膚なきまでに。
その日から少女は釣竿を持っていない。

……高校2年。待ちに待ったこの日までは。
「……もう一度頼むわよ。今度こそ、あの日を取り戻すために」


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